Statement | 自然と共生する建築を目指して
(Contour Architects / コンター アーキテクツ に込めた想い)
自然を享受し、
自然に逆らわず、
自然ごとやさしく包む建築
人は古来より、大いなる自然に抗うのではなく、気候の変動や地形の凹凸を受け入れて、それらの土地に魅力を見出してきました。
光や風、水や地形、木々や鳥の声といった自然に向き合い、
「ここでこうしたい」「こんな空間が心に残っている」といった人の想いが
さまざまな時代、さまざまな土地で、土着的でアノニマスな(匿名性のある)、自然と共生する建築を生み出してきました。
『建築家なしの建築』の著者であるBernard Rudofskyは、これらの建築をつくった人々を「無名の工匠」と呼んでいます。
そんな無名の工匠たちの創造は、自然を享受し、自然に逆らわず、自然ごと優しく包むような、自然と人の想いが織り成す豊かな関係性の表現のようなものであり、
その蓄積と継承の繰り返しは、新たな土地のものがたり(歴史、文化、伝統、街並み 等)を紡いていく過程そのものでした。
そんなアノニマスで土着的で、自然と共生する建築は、なぜか人間性を感じ、人の心を揺さぶります。
これも昔から人は、「人間と自然の間に境界はない」という自然観と共に生きてきたからであると考えています。
※参考/引用
『建築家なしの建築(Architecture without Architects)』 著:Bernard Rudofsky )
自然と共生する
風土の中に繋がり溶け合った建築を目指して
人が古来より持っている「人間と自然の間に境界はない」という自然観は、
建築においても例外ではなく、特に日本建築はそれが顕著に表現されていると感じます。
日本には四季があり、それに応じて変化する彩り豊かな自然がある。
それを切り取るように庭は作られ、表現されています。
その中に立つ建築は、「自然との合一」を求めて建築(内部)と庭(外部)との関係が築き、
その土地の風土に合っている“自然と共生するあり方”を模索し、自然と一体となった豊かな空間体験を作り出しています。
このような自然と共生する建築は、人が本来持っている自然への感性を呼び起こし、身体的な喜びや心地よさを生み出します。
一方で現代の建築のあり方はどうであろうか。
機能的、合理的を追い求め、自然の介入は排除され、四季や天候の変化に左右されない不自然で均質化された空間が広がっていると感じます。
更には敷地は、駐車場等で浸食され、建物外周囲まで人工物で埋め尽くし、
わずかな自然との繋がりは、高気密高断熱化された窓、開口部の少ない計画によって断たれています。
人工物に囲まれた都市生活を送る現代人は、五感が遮断され、人が本来持っている自然への感性を失っていると感じます。
現代人が失った自然への感性や、身体的な喜びや心地よさがある暮らしを取り戻すべく、
自然の力強さ、怖さに畏敬の念を持ちつつ、
光や風など、自然の恩恵を享受し、
敷地全体だけでなく、その周囲に広がる風土の中に繋がり溶け合った建築を目指していきたいと考えています。

自然 人の想い 土地のものがたり
そっと頬をなでるように
“「輪郭・等高線 / Contour / コンター」を描く”
それが私たちの“「建築」する”ということ
すべての場所には必ず、
自然(光、風、水、地形、樹木、鳥 等)と、
その場所に向き合う人の想い(ここで○○したいな、○○が好きだな 等)、
そして、過去より受け継がれてきた土地のものがたり(歴史、文化、伝統、記憶 等)が存在します。
それらはとても尊く、とても大切なものであると考えます。
しかし、
それらは霞のようにぼんやりとし、時間と共に姿を変え、カタチを捉えづらいものです。
それら1つ1つを丁寧に考察し、具現化し、それに抗わず、無理矢理ではなくそっと“「輪郭・等高線 / Contour / コンター」を描く”ことが“「建築」する”ことであると考えます。
それは、自然と人の想い、土地のものがたりが織り成す関係性を表現するようなものです。
そのような建築は、“風土と建築”、“外と内”、“自然と人工”、“過去と現在”、“想いと想い”、それぞれの境界が溶け出し、身体的な喜びや心地よさを生み出す空間となります。
私たちはこのように「自然」や「人の想い」、「土地のものがたり」に耳を澄まし、
風土の中に繋がり、溶け合うような建築を目指していきたいと考えています。